南アルプス市西野のさくらんぼ さくらんぼの産地といえば「山形県」ですが、実は山梨県も全国3位の出荷量を誇るさくらんぼの産地、とくにここ南アルプス市西野地区のさくらんぼ栽培の歴史は古く、明治時代の終わりには、東京神田の市場に「西野のさくらんぼ」が出荷されています。 ここ西野のさくらんぼの代表格となる品種が「高砂」 実は明治時代にアメリカから導入された品種で、明治43年日本園芸会主催の桜桃名称一定協議会が開かれれた折に、主要品種に和名をつけ、協定名称として決められた歴史ある品種です。正式名称はロックポートビガロー なぜ山梨は高砂が産地になったのでしょう? さくらんぼといえば「佐藤錦」が有名です。この品種は大正時代に作られましたが、実は産地山形でも戦前はあまり普及していなかった品種です。山形県のさくらんぼの実に80%は「加工用さくらんぼ」特に山形で梅雨が明けてから完熟するナポレオン種が主流で、味が良くても雨に当たると割れてしまう佐藤錦は作りにくかったからです。さらに山形県は大消費地の東京から遠く、大正時代の当時でも生のさくらんぼを出荷することはほとんどできませんでした。 梅雨の少ない甲府盆地、山形より暖かい山梨では、梅雨に入る前の5月下旬から6月上旬にこの「高砂」が熟します。山形では佐藤錦の受粉品種として、酸っぱいし種が大きいと評価が低い高砂ですが、ここ山梨では暖かい気候で糖度もあがり、酸味と甘みのバランスが取れた高級品種として栽培されています。山形の「高砂」と山梨の「高砂」はまったく別物といっていいさくらんぼです 明治36年6月中央本線新宿―甲府間が開通。これにより西野のさくらんぼは1日で東京神田の青果市場(現在の秋葉原駅前)に届けられ、赤い宝石としてもてはやされました。当時西野のさくらんぼは、舶来からの珍しい果物が生で食べられるということで、ものすごい高値で取引されました。現在の日本のさくらんぼのイメージを作ったのは、大産地山形のさくらんぼの缶詰ではなく、ここ西野の「高砂」だったのです。 |